‘誕生日’, 平気でもっと痛い

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下駄箱前玄関などセンサーがともる。確かに誰もいないのに、誰か来たことだけ同じだ。もしや家出をした帰って来ない息子ではないかと思ってもう一度視線を置く。しかしその所には気配ない寂寞だけくるくる回わる。そしてママは涙を止めどもなく流す。”守護だ。”‘誕生日’はセウォル号素材を劇映画で盛って製作から論難がおこった作品だ。同時に俳優ソル・ギョング、チョン・ドヨンまでも出演のためらった作品で、世の中の光を見るまで易しくなかった。それもそのはずなのがセウォル号を映画素材で扱うには時期的に早い気がし、ともすればしたら遺族に傷になることができるからだ。’誕生日’はセウォル号遺族の中一家族の話を集中的に掘り下げる。このある家族の話を遺族全体姿に一般化することができるという憂慮の声も出たが、イ・ゾンオン監督は多くの家族の話も付け加えて見せてくれて憂慮の視線をむき出した。2014年4月16日。その日の事故以後残された家族たちの姿は胸が痛いうえ破れる。この監督は彼らの姿を最大限たんたんと表現した。それでもっと悽絶に近付く。映画はある家族の話を断片的に見せてくれるようだが、ある家族によってで発生する多くの問題点を立体的に見せてくれる。事故以後で家族たちが経験する精神的トラウマ、遺族たちの紐帯感とその間で開かれる葛藤、政府で支援する補助金で発生する家族間の葛藤、また遺族を眺める国民の姿などが映画で表現された場面だ。特に ‘誕生日’に登場する遺族の姿は現実的だ。世を去った子供達がおとなになったのを祝うためにビールとチキンなどあれこれを準備してハハほほう笑う。そうして急に尋ねて来たいつわりでむなしさに涙を流す。骨切って笑って、骨切って泣きを堪える。観客は自然に彼らの感情に染みこむ。’誕生日’は日常の姿を平気な基調で盛り出しながら映画の気まずさを取り除けた。誰かの ‘痛み’をただ映画の ‘素材’で消費しなかったというのだ。多分この監督が ‘誕生日’を作るのに一番気を使った部分ではないかと思う。映画の主演であるチョン・ドヨンとソル・ギョングの演技はドマルするまでもない。この二人の俳優ではなかったらこの作品の中配役を誰が演技することができるかどうかわからない。二人は息子を失った親の心情を切々たるように描き出す。特に映画末尾30余分のロングテイク場面では彼らの年輪がまともに現われる。時々刻々変わる目つき、表情、長い時間嗚咽場面では目頭が自然に赤くなる。’誕生日’は来る4月3日封切りする。上映時間は120分。全体観覧可だ。
ソース : [http://news.tf.co.kr/read/entertain/1748837.htm, 2019/03/25 05:00:03]